切り離されたアイデンティティと匿名文化の未来
最終更新 2023/10/07 21:01
私たちは、しばしば現実世界とインターネット世界を切り離して、それらを全く異なるものとして扱います。
「ディスプレイ」と名付けられた、二つの世界を繋げるワームホールを境界面として、「現実世界で都合が悪くなればインターネット世界に逃げ込み、 インターネット世界で攻撃を受ければ現実世界に戻る」という"二つの世界を行き来する体験"をしたことのある方も少なくないのではないでしょうか。
インターネットはその匿名性ゆえに、自己のアイデンティティ、すなわち職業や性別、年齢、思想などを現実世界から完全に切り離して、全く新しい別のアイデンティティを演じることができます。
本記事では、インターネット世界における"新しいアイデンティティ"の存在意義について論じたうえ、匿名文化の未来について高校生の立場から推論を行います。
インターネットにおける匿名性の賜物
まず初めに、私の好きな言葉を一つ紹介させて頂きます。
On the Internet, nobody knows you're a dog - The New Yorker
これは翻訳すると「インターネット上では、あなたが犬であることを誰も知り得ない」という意味で、The New Yorker紙が1993年7月5日に掲載したものです。
すなわち、インターネットにおいては、その匿名性ゆえに"あなたが人間だろうが犬だろうが、その事実を他の誰かが知る手段はない"のです。
海外では有名なインターネットミームですが、普段からSNSなどで匿名性を保ちがちな日本人にこそ知って欲しい言葉です。
日本人の匿名性重視な思想
さて、インターネットの匿名性について上記に述べた通りですが、とりわけ私たち日本人は諸外国に比べてインターネットで匿名性を保とうとする傾向にあります。
例えば、以下の主要6か国における主なSNSの利用率とその匿名/実名の内訳をご覧ください。
資料a. (出典)総務省「ICTの進化がもたらす社会へのインパクトに関する調査研究」(平成26年)
資料b. (出典)総務省「ICTの進化がもたらす社会へのインパクトに関する調査研究」(平成26年)
これらのデータによれば、実名登録が推奨されているFacebookは日本人の利用率が低く、一方そのような推奨がないX(Twitter)は日本人の「匿名利用」が7割を超えており、 他国に比べてインターネットを匿名で利用しているユーザーが特段に多いことが読み取れます。
では、私たち日本人はなぜこれほどまでにインターネットの匿名性を重要視して、現実世界のアイデンティティを切り離そうとするのでしょうか。
この理由は「社会的圧力」という言葉で説明することができ、日本の文化は伝統的に集団主義的で、社会的な評判や他人との調和が重要視されるためです。
個人の意見や行動が公に知られることは、時に社会的な圧力を生むことがあります。そのため、インターネット上では匿名性を保つことで、個人のプライバシーを守りつつ自己表現を行いたいという動機が強まります。
匿名性の"レベル"
インターネットの匿名性について考察するにあたっては、その匿名性をレベル分けし、その主な用途について考えなければなりません。
私の感覚によってインターネットの"匿名化レベル"を大まかに分けると、以下の4つに分類することができます。
(匿名化レベル1)
実名を公開していたり、あるいは、現実のアイデンティティと紐づけている状態。
(匿名化レベル2)
固定のハンドル名やニックネームを使い、インターネットにおける一意的なアイデンティティを持っている状態。
(匿名化レベル3)
「名無しさん」として参加し、どの投稿が誰のものかは分からないが、発信者情報開示請求などを通じて匿名化を解除できる状態。
(匿名化レベル4)
TorやログのないVPNを使用し、複数のアイデンティティを完全に独立したものとして使い分けるなど、追跡が困難な状態。
それでは、それぞれの匿名化レベルの用途について考えてみます。
匿名化レベル1について
まず匿名化レベル1の「実名を公開していたり、あるいは、現実のアイデンティティと紐づけている状態」は、ほぼ匿名ではないことが明らかです。ですから、多くの日本人は、匿名化レベル1を好みません。 この状態の用途は、主に「現実世界で既に"成功"しており、その知名度を利用したい場合」と「インターネットを現実世界のビジネスに繋げたい場合」の二通りに分けることができます。
双方とも「現実→インターネット」や「インターネット→現実」というコネクションが張られており、企業の公式アカウントならまだしも、個人で匿名化レベル1はとても例外的な存在と言えるでしょう。
具体的な用途としては、芸能人がブログから収益を得たり、個人事業主がプロダクトを宣伝することなどが挙げられます。
匿名化レベル2について
次に、匿名化レベル2の「固定のハンドル名やニックネームを使い、インターネットにおける一意的なアイデンティティを持っている状態」です。これには、ユーザーアカウント登録制のSNSや掲示板、コミュニティなどが該当します。
匿名化レベル1との違いとして、現実世界とインターネットのアイデンティティを切り離して、別のアイデンティティを構築しているという点が挙げられます。 また、逆に匿名化レベル3以降とは、"周りのユーザーとコミュニケーションを取り、関係性を構築する"という相違があります。
「関係性を構築する」という特徴ゆえに、現実世界とは異なるアイデンティティを持ちながらも、他者からの見え方を強く意識します。 例えば、投稿内容に一貫性を持たせたり、プロフィールを盛ったり・・など。
インターネットユーザーの多くがこの匿名化レベルに位置しており、また、自己愛の成立要件である"承認"にも繋がることがあるため、安全性と承認欲求の両立を求めることができます。
匿名化レベル3について
そして、匿名化レベル3の「「名無しさん」として参加し、どの投稿が誰のものかは分からないが、発信者情報開示請求などを通じて匿名化を解除できる状態」についてです。
このレベルに到達すると、"他者からの見え方"による影響が小さくなり、複数のアイデンティティを使い分けることができるようになります。
具体的には、名無しとして書き込める掲示板や、利用登録の必要ないチャットサイトなどが挙げられます。
これらの匿名性の高い空間では、攻撃的な言葉を発信できる条件が揃うため、攻撃行動や無責任な発言が多くなる傾向にあります。
匿名化レベル4について
最後に、匿名化レベル4の「TorやログのないVPNを使用し、複数のアイデンティティを完全に独立したものとして使い分けるなど、追跡が困難な状態」についてです。
この状態は、匿名化レベル3について「追跡が99%不可能」という条件が加わることによって生じます。
具体的には、防弾VPSにホストされた掲示板や、TorのOnionサービスにあるコミュニティなどが挙げられます。
一般に、ユーザーが極めて高い匿名性を保持すると、犯罪まがいの行為や現実世界では絶対に公にできないような行動を起こします。
例えば、爆破予告や違法薬物の取引、違法データの売買などです。
また、犯罪以外にも「リーク行為」においてこの匿名性が必要とされることがあります。 これは、誰が情報を漏洩させ、不祥事を告発したのかを完全に秘匿しなければ、国家権力などが告発を行った個人を制圧する可能性があるためです。
匿名文化の未来
デジタル社会の変化は早く、ほんの20年前に執筆された論文の内容が、今では全くもって意味を成していないことがしばしばあります。
本記事は、そんな"急激な変化の途中"に書かれたものであるため、以下の論が全くの誤謬推理であって、3年後には嘲笑の対象となっている可能性もあります。
匿名文化は発散するか、収束するか
まず一つ目に検討する内容は「匿名文化は発散するか、収束するか」です。
簡単に言い換えると、現在のインターネットは実名と匿名が交錯した世界となっていますが、未来においては匿名ユーザーが増えるのか減るのかという疑問です。
私はこの題について、発散すると推測し、今後は匿名ユーザーの割合が高まり続けるのではないかと考えます。
その根拠として、暗号無政府主義の基礎である、ティモシー・C・メイによる「クリプトアナーキスト宣言(1988年)」(The Crypto Anarchist Manifesto)を引用します。
そもそも暗号無政府主義とは、暗号化ソフトウェアを用いて情報通信の機密性や安全性を高め、自由を得ようとする政治的イデオロギーです。その詳細については、以下の記事をご覧ください。
このクリプトアナーキスト宣言には、以下のような内容が含まれています。
政府は当然、国家保障の不安・麻薬売買や税金逃れの為の使用・社会崩壊の危険性を引き合いにだしてこの技術の普及を遅らせたり阻止しようとするだろう。 これらの懸念の多くは正当なものだろう - つまり暗号の無政府状態は国家機密を自由に流通させ、禁制品や盗品を流通させるだろう。 コンピュータ化された匿名の市場は強奪や暗殺のための忌まわしき市場を作りだしかねない。 多くの犯罪者や海外の犯罪的構成分子は暗号ネットの積極的な利用者になるだろう。 しかしこれは暗号の無政府状態の普及を止めはしない。
まさに印刷技術が中世のギルドや社会的権力構造の力を変革し、ひきずり降ろしたように、暗号もまた経済的取り引きに対する企業や政府の干渉の本質を根本的に変革してしまう。 暗号の無政府主義は新しく生まれた情報市場と結合して、言葉や画像のあらゆる素材の流動市場をつくるだろう。 そして、まさしく有刺鉄線のように一見とるにたらない発明が広大な牧場や農場を囲みかねない - たとえば、フロンティアの西部における国土と所有権についての概念を永遠に変えたように。 ならば、数学の難解な一部門から出た一見とるにたらない発見も、知的所有権をとりまく有刺鉄線を取り去るような鉄線ばさみにだってなるかもしれないではないか。
技術とプライバシーの両立
そして次に検討する内容は、「技術とプライバシーはどのように両立しなければならないのか」です。
デジタル化が進めば進むほど、その特性上簡単にデータを複製したり、インターネット上に公開したりできるため、一層プライバシーが重要となります。
例えば、現在デジタル庁の主導でマイナンバーカードの普及が進んでいますが、これについてプライバシー上のリスクやセキュリティ上の危険性などの問題が浮き彫りになっています。
マイナンバーカードはデータとして管理されているため、数万件単位で流出する可能性があったり、フィッシングなどで悪用される可能性があります。
(一応、マイナンバーカードのデータは分散的に管理されているため、大規模な流失は起らないと"言われています"。とはいえ、その実態を知る人は限られているため、実際にはどのように管理されているのかは不明です。)
私はこの題について、今後の社会においては更にデジタル化が進み、プライバシーに関する懸念は大きくなり続ける一方であると考えます。
また、ユーザーの一人一人により多くの選択の余地(ここまではデジタル化して、ここまでは紙媒体で管理するなど)を与えるべきであるという考え方も広まるでしょう。
現在、内閣府は「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」というSociety 5.0のアイディアを提唱しています。
これは、IoTで全ての人とモノを繋げて、ビックデータをAIで分析し、社会の効率化と問題解決を進めるという計画です。
全ての"社会状況"をデジタル符号として数値化し、解析と最適化を行うのですから、現在では考えられないほどの莫大な量のデータを扱うことになるでしょう。
そして、当然情報漏洩などのリスクが高まり、一層プライバシーが大切になります。
おまけ: 絶対に他者を信用してはならない
インターネットは、誰もが高い"匿名性レベル"を持ち、現実のアイデンティティと分離することができる空間です。
全員が匿名になれるからこそ、教訓として自分以外の誰も信用してはなりません。
誰かが誰かを攻撃していても、誰かが「ライオンが逃げ出した」と書き込んでいても、それは単に自作自演である可能性があり、反応するべきではありません。
また、一般に、政府や公的機関がソースとなる情報は信用できるとされますが、それもあくまで「一つの意見」として捉えるべきです。
悪意のある人が公的機関になりすましたり、アカウントを乗っ取って投稿しているのかもしれませんし、そもそも政府が必ずしも信用に値する情報を提供するとは限りません。
そもそも数値データというものは無数に存在するのであって、それをどこからどのように切り取るかによって見え方が360度変わります (でも単位円周上で360度の回転操作を行うと、一周回って同じ場所に辿り着きますね笑)。
最後に
最後まで記事をご高覧頂き、ありがとうございました。
本記事では、インターネット世界における"新しいアイデンティティ"の存在意義について論じたうえ、匿名文化の未来について高校生の立場から推論しました。
また、私はTwitterも運営していますので、よろしければフォローをお願い致します。
リファレンス一覧
本記事の執筆にあたっては、以下の文献を参考としたり、一部引用させて頂きました。 クレジットとして、そのリンクを掲載させて頂きます。
諸外国別に見るソーシャルメディアの実名・匿名の利用実態(2014年)
日本における匿名とは、自分のことを隠すことではなく、関係性をゼロにすることである | けんすう