【Web3は詐欺】形を持たない価値を求めて。
最終更新 2023/09/16 20:41
最近、Web3関連の"未来の技術に関する用語"を聞く機会が増えました。
「ブロックチェーン」「メタバース」「NFT」「DAO」・・・諸々。
いったい、私たちはこれらの "虚偽の未来" にいつまで感化され続けなければならないのでしょうか。
本記事は、Web3が詐欺であることを立証するものでも、あるいは、具体的な危険性を列挙するものでもありません。
なぜなら、物事について何らかの理由に依存して非難するならば、少なからず反論の余地が生まれるためです。
例えば、「何人も他者を殺してはならない」という普遍的な道徳法則について、その根拠を「誰かが死ぬと誰かが悲しむから」や「人を殺しても良い世界は成立し得ないから」などに依存すれば、 それは忽ち「安楽死」や「死刑執行」、あるいは「テロ組織のリーダーを殺害しても良いのか」などの答えが一意に定まらない論争を生みます。
ですので、Web3が詐欺であることを述べるにあたり、それに関する何らかの具体的な矛盾を指摘することはもはや無意味であると言えますから、本記事ではそのような対象を扱うことはしません。
Web3に対する"個人の感想"
本章では、Web3の現状について、私個人としての感想を述べます。
以下の内容は全て "私から見たWeb3の世界" に過ぎず、そもそも「私の記述する文章全てが中立的ではないこと」をご理解下さい。
これはすなわち、何を伝える価値があるとみなすか、あるいは、誰の文章を引用するのかといったことさえもが政治的判断であり、完全に中立的な文章は存在し得ないことを意味します。
Web3の素晴らしさ
まず初めに述べなければならないことは、Web3の根本となる技術(~暗号技術)と思想(~暗号無政府主義)は革新的であり、それでいて急速に私たちの日常に影響を与えているということです。
近代では、戦争やコンピューターの発展を通じて、数学に基づいた絶対的安全性を持つ暗号技術が大きく進歩しました。
私たちの身近な例では、HTTPSやWSS、SFTPなどが挙げられ、これらはSSL/TLSの規格に基づきデータ通信内容を暗号化し、インターネットの安全性を高めています。
このように、暗号技術が私たちの生活に大きく貢献していることは明らかでありますが、暗号技術は社会全体にどのような影響をもたらしているのでしょうか。
数理論理学の帰結する普遍的な数学的根拠に基づいた暗号は、時に社会や政治を変革し、あるいは極めて民主的な秩序を与えることがあります。
これは即ち、世界中の誰もが「数式」という人類共通の言語を使って、与えられた計算に対して最終的に一定の結論へと達することができるため、 情報の媒介者は、途中で計算を与えた人物の「言葉」を検閲することができないという事です。
あるいは、簡潔かつ具体的に「強力な暗号の登場によって独裁的な国家が国民の言論を統制することが困難となった」と言い換えることもできます。
とりわけ、暗号化ソフトウェアを用いて情報通信の機密性や安全性を高め、自由を得ようとする政治的イデオロギーは暗号無政府主義と呼ばれ、これはWeb3の核心に近い考え方です。
Web3が詐欺である理由
しかし、問題はここからです。
すなわち、上記のようなWeb3の根本となる「研究途中の技術」について、その関連用語に多くのカタカナが並べられ、投機の対象となってしまったのです。
本来であれば、GAFAなどの大企業や政府への依存を減らし、"インターネットの独立"の中核を担うはずであった分散化の技術(ブロックチェーン等)は、今となっては大企業のマーケット市場に成り代わってしまいました。
実態のないものに価値を見出す行為は常に大きなリスクを背負っており、例えば、必要以上の値打ちが付けられて、後からバブルのように崩壊を起こす可能性があります。
日本は英語圏でないため、カタカナの専門用語が並べられると、その背景や技術的詳細によらず「とりあえず凄いもの」「最先端技術」といった偏見を抱きがちです(少なくとも私はそうです)。
そのような偏見を利用して、一部の主導者によるこの「巧妙な詐欺」が進行し、今となっては取り返しのつかないほど沢山の人が騙されてしまいました。
わずか数パーセントのWeb3主導者は大儲けし、それに乗っかった「自称Web3に詳しい人」は大きな損をしています。
この構図はBitcoinへ初期に参画した人が欲に言う"億り人"となり、それに感化されてBitcoinの大量購入を行った人たちがひたすら損をしたのととても似ています。
簡単な話、誰かが儲かれば、誰かが損をするのです。BitcoinもWeb3も、新たに油田を開拓したり、金鉱山を掘る訳ではないので、新しい価値をほとんど作りません。
私のような一般的高校生が、社会に対して次のことを述べることは大変失礼であることを承知しておりますが、ここで明確に述べておきます。
Web3などの専門技術について、その本質を知らないのに「私はある程度理解している」「最先端の技術についていける自分、カッコイイ」と思っている方は、純粋にアホです。
本当に専門技術を理解している人は、自らが専門家であるとは名乗りません。「ワタシハリナックスチョットデキル」とか、良く分からないことを言い出します(Linux開発者のセリフです笑)。
もしもその自覚があるならば、今すぐWeb3界隈に関わるのを止め、投資などをせずに「純粋な個人の興味」から技術を勉強しましょう。
あるいは、本記事の読者には「Web3界隈が邪魔で、いつも目障り」という方がいらっしゃるかもしれません。
その場合には、相手を論理的に非難するのではなく、関わらないようにしましょう。彼らの多くには一般的な教養がないので、ただ時間を無駄に浪費する限りです。
真に分散化する方法
インターネットを組織が管理しており、その接続にはISPを利用していることを考えれば、インターネットを現実世界から完全に独立させることはできないと帰結します。
しかし、インターネットを真に独立させる方法があると興味深い主張をする方が居ます。テクニカル諏訪子さんです。
彼の記事によれば、古いインターネット、すなわちWeb1のデジタル自主こそが真の分散化であるとされます。
つまり、『現時代の問題は「初めてネットの分散化が必要」じゃなくて、「数年前ネットを中央化されたので、ネットを元に戻さないと駄目だ」』という事です。
考えてみれば、Amazonが登場したのは1994年で、Googleに至っては1998年までその名を知る人はいませんでした。
それまでのインターネットは個人サイトによって成立しており、人と人が一対一で直接繋がり、ページ移行はハイパーリンクで行われ、その途中に大企業が仲介するような事はありませんでした。
これこそが真の分散化であり、デジタル自主が求められているという考えも一理あります。
最後に
本記事では、Web3についての私個人の意見を述べ、真に分散化する方法を記述させて頂きました。
最後までご覧いただき、有難うございます。